されどキャバクラ / 東京プリン (2007-08-26)
カラオケは歌うのも聞かされるのも大嫌いです。しかし、昨日とある飲み屋で「されどキャバクラ」という歌を聞き、う~ん、するどい!
とその歌詞に共感しました。熱唱していたぜんぜん知らないその人へ拍手を贈ってしまったほどです。
この歌のせいかわかりませんが、昨日新しいボトル入りました...。
紙ジャケットCDなどの保護に - CD Pケースカバー (2007-08-26)
よく中古CD屋さんでCD購入時、透明ビニールのカバーを付けてくれる店があります。特に紙ジャケットは痛みやすいので、いつもこれもっとほしいなぁっと思っていました。昨日、TOWER RECORDS 新宿店でレジの前にこれがあるのを見つけ購入しました。
「CD Pケースカバー(30枚入り)」は標準サイズのプラスティックケース用で、これとは別に「CD 紙ジャケットカバー(20枚入り)」というもの在るようです。値段もそれぞれ263円、189円と、それほど高いものでもないですし、せめて紙ジャケットCDにはつけてみてはどうでしょうか?
今も健在、東富水小学校の象徴、一本松 (2007-08-19)
母校、小田原市立東富水小学校の周辺は、ずいぶん変わりました。テニスコートや小田原アリーナと呼ばれる大きなスポーツ施設ができ、田んぼやあぜ道はアスファルトやコンクリートへ変わっています。
ただ、一本松は在りました。誰が付けたかわかりませんが、みんなから「一本松」と呼ばれているその松は、小学校グランド側の通用門から土手道を100mほど行ったところににあります。アスファルトで固められた道路にこの松の周辺だけ土が顔を出していました。あれこれ記憶を辿ってみても正直大した思い出など出てきません。帰りに一本松まで競争したことぐらいでしょうか。でも、一本松がまだ在ることを見たときすごく嬉しくなり、写真を撮りました。
Perlメモ - "sort { $b cmp $a; }"と"reverse"関数の違い (2007-07-01)
本サイトで用いているPerlスクリプトにバグがあり、調べたところリストのソート方法に誤りがあったことがわかりました。初歩的なミスとは思いますが、自分自身のメモであると同時に、同じ勘違いをしてしまう人もいるかと考え掲載します。
内容
本サイトのトップページでは、新しい記事ほど先頭へ表示するよう処理させているつもりでした。しかし、過去の記事のいくつかを更新したら、なぜか順番が崩れてしまいました。
各々の記事は日付を元にしたファイル名で定義されているので、readdir関数で読み込んだファイルを逆ソートして処理すれば良いと考え、以下のように記述していました。
foreach( grep !/^\./, reverse readdir(DIR) ){ # 誤り!
some_action();
}
これでは期待通りに動きません。
readdir関数は、opendir関数によってオープンしたディレクトリハンドルから、単に、ディレクトリエントリを読むだけで、得られるリスト値は昇順で並んでいることなど保証していません(この順序はOSが決めているんでしょうか?)。
一方、reverse関数は、中身の値を見てそれを逆ソートしてくれるわけではありません。単にリストの要素を逆順に並べ直す、つまり、ポインタを入れ換えるだけです。ここを私は勘違いしていました。
目的の動作をさせるには、結局、sort関数を使います。sort関数にBLOCKまたはSUBNAMEを省略すると、リスト値を昇順にソートしますが、sort { $b cmp $a; } @list
とすれば逆順にソートされます。
foreach( grep !/^\./, sort { $b cmp $a; } readdir(DIR) ){
some_action();
}
grep関数とsort関数の記述順も気になりますが、とりあえずはこのままで、と...。
参考資料:
プログラミングPerl〈VOLUME1〉 (オライリー・ジャパン)
正確には、私が持っているのはPerl5向けの第2版です。1冊5,000円もするのにこの第3版ではVOLUME1とVOLUME2の2冊になってしまいました。合わせて1万。今さら買う気しないなぁ(笑)。
上記、逆ソートについて、sort { $b cmp $a; } @list
だけでなく、reverse sort @list
でもまったく等価であると書かれていました。後者の方が効率が悪そうですが、まぁ、開発者本人がまったく等価
と言っているのでそうなのでしょう。
仕様書・契約書の必要性 (2006-12-14)
ヴァイオリニスト諏訪内晶子さん著「ヴァイオリンと翔る」には、アメリカ・ジュリアード音楽院の優れた教育システムについて少し書かれています。
その本は今手元になく読み返すことができないのですが、大体、以下のような内容だったと思います。
「言わずともわかる」、「察する」といったものは、なにも日本文化特有のものというわけではない。伝統あるほとんどどこの国や民族にも存在するものである。
しかし、唯一例外の国が存在する。それが人種のるつぼ、アメリカだ。アメリカでは、「言わなくてもわかってもらえる」ことは期待できない。仕草・言い回しは、文化によって異なるからだ。したがって、アメリカでは、言葉だけが唯一のコミュニケーション手段となった。
そのアメリカ、ニューヨーク州にあるジュリアード音楽院では、講師はすべてを言葉で明確に説明してくれる。 そこには「師匠から技を盗め」という世界は存在しない。音楽・楽器を学ぶ者にとってそれは、ある意味理想的な教育システムのひとつである。
アメリカでは、なにをするにも契約書を交わさなければならない、とよく聞きます。一見冷めてて非人間的に見えるその文書も、実は、人が楽しく豊かな生活を営むためのコミュニケーションツールだったんですね。
私は仕事でよく仕様書と呼ばれる文書を作成します。システムの目的、用途、部品構成、取り扱い説明、制約事項、適用範囲などなどをまとめた文書です。
外国人と取引したことはないし、恐らくこれから先もないと思います。でも、仕様書作成は私には必要です。だって、日本の伝統・文化がわからない大馬鹿者ですから。